【コラム】音ゲーと私: なぜ苦手・不得意なのか そして今後は

コラムその他ゲーム全般

私は手当たり次第つまみ食いをする雑食性ゲーマーであり、器用貧乏なだけあって成長速度はやや早めで能力上限は低めという塩梅(自社調べ)なのですが、苦手なゲームジャンルというものはやっぱり存在します。 それが、音ゲーです。

ただ、苦手と言っても「あの人苦手なんだよね」というような嫌悪に近い苦手ではなく、より厳密に表現するなら不得意になりましょうか。 やっても全く上達できる気がしないし、まずスタート時点で無理ゲーに近かったんです。

不定期コラム第一回目となる今回は、どうして音ゲーが不得意なのか。 そして、今とこれからの私と音ゲーとの現状を書いてみようかと思います。

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なぜ不得意なのか: 意味・役割が皆無もしくは希薄な操作のせい?

では最初に、私がなぜ音ゲー(リズムゲーム)が不得意なのかを考えてみます。

まず、私の音ゲー歴というか経験は皆無に等しいといえます。 最初に触れたのがパズルで、ゲームが楽しい・好きだと認識し始めてから好んで遊んだのがRPGやアクションで、そこからFPSなんかも好んで遊ぶようになりました。 そのゲーム歴においては、音ゲーはほとんど影響力を持っていなかったです。

なので、私が音ゲーを語れるほど経験を積んでいないので、説得力もなにもないのだとは思いますが、それほどまでに私が音ゲーに対し苦手意識や不得意意識が強くあったのだととらえてもらいたいです。

私が好んで遊ぶゲームと音ゲーを(乱暴に)比較した場合、ある要素が音ゲーには備わっていない(ように思える)のです。 それが、キー・ボタン操作による意味・役割の有無です。

例えばアクションなら、これが攻撃でこれがガードでこれがジャンプで……というものが各キー・ボタンに割り当てられています。 パズルならこれが時計回り回転でこっちが反時計回りで~とか、FPSならこれが射撃であれは近接攻撃それは姿勢変更……というような。

これは、このキー・ボタンは「○○という行動・意思を反映する」という意味・役割づけであり、プレイヤーは状況に応じてこれらを判断し、実際に入力することでゲームに結果が反映されます。

ところが、音ゲーに関してはこの意味・役割づけが皆無もしくは非常に希薄に感じるのです。

基本的に音ゲーは、曲に合わせて表示されるアイコン・オブジェクト(=ノート)に対応したキー・ボタンを押すなりなんなりするというものです。 そこには不文律的な、PS系ゲームで言えば○が決定で×はキャンセルというようなレベルの意味合いすらなく、ただ単に押すだけ、というものに感じられるのです。

もっとも、所定位置にノートが達した時に、対応する記号・色のノートを消化するという意味・役割が与えられているとも考えることができます。 しかし、それは単に記号や色のみによって区別されているだけで、ノートを消化するという意味・役割に関しては同質である≒個別の役割が独立して与えられていない、と感じる要因になっているとも思います。

最近の音ゲーに関しては単に所定位置にノートが達した時にキー・ボタン入力をするタイプだけではなく、長押ししたりなぞったりと様々なアプローチがとられるようになってきてはいます。 この辺りはまだ区別ができると言えなくもないですが、本質的にはそう大差ないとも言えます。

つまり私は、プレイしてきたゲームの傾向からしても(そしてその経験自体の影響もあって)、キー・ボタンの意味・役割づけの皆無もしくは希薄なゲームに対して、適切に判断を下しにくいのではないかと思うのです。

これは、QTE(クイックタイムイベント)においても同じような傾向が見られました。

QTEにも得意・不得意や好き・嫌いがあった

QTEとは、ちょっと前の世代のアクション要素のあるゲーム……アクションに限らずFPSやアドベンチャー、RPGなどで多く見られたシステムです。 画面に表示されたキー・ボタン入力をすることによって成否を判定し、その後の展開に影響を与えたりするものがほとんどでした。

一時期、猫も杓子もQTE、QTE……という具合に、本当に多くの作品でQTEが採用されていました。 当然、私のプレイした作品の中にもQTEは多く登場していたわけですが、QTEにも得意・不得意や好き・嫌いがあったのです。

例えば、God of Warという、ギリシャ神話をベースにしたアクションゲームがあります。 本作はQTEの集大成というか、効果的に使用できている例だと私は思っていて、とにかくインタラクティヴ性が強く重視されていた時期にあって、それを高いレベルで実現できていた稀有な作品です。

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本作におけるQTEは敵を倒したり、マップの仕掛けを動かしたり、巨大な敵の猛攻をかわして反撃しトドメをさす……などなど、実に様々な場面で用いられています。 ともすれば邪魔・面倒になりそうなほど多用されていたにもかかわらず、そうした悪印象を受けなかったのは、God of Warのゲームデザイン・システムに見事にとけこんでいたからに他なりません。

QTEのメリットとして、インタラクティヴ性が挙げられます。 インタラクティヴ性とは双方向性ともいわれ、例えば映画のような一方向性(観客は見て楽しむ。 見るだけとも言える)のものではなく……こちらから働きかけることができる性質を指します。

その意味ではゲームがそもそもインタラクティヴな娯楽とも言えますが、QTEはさらにその性質を強めようとした結果のものであり、画面上に示された操作をすることで、通常のプレイではできないような映画的で迫力のある演出が可能になったりと、没入感を増す意図があって採用されることが多かったように思います。

そして、ことGod of Warにおいてはこのインタラクティヴ性がエンターテインメント性と絡みあい、見事に没入感を増していたのです。 例えば、あるボス戦で発生するQTEでは、R3/L3を押し込むように指示されます。 それを実行すると……ゲーム内では、主人公が息も絶え絶えな憎い敵の両目を親指でつぶしてトドメをさします(エグい例でごめんなさい)。

私はこれが非常に印象的で、今でもあの時の衝撃と感覚を覚えています(まぁ、いい感覚ではなかったですがww)。 例に出したのはCERO Zのゲームなのでアレですが、別にこうした暴力的なものでなくとも、没入感を増すことに成功したQTEはありました……数は少なかったですけれども。

そう、圧倒的に単に押すことを強要されるだけ、面倒くさいだけ、のようにとりあえず入れただけじゃないのかと感じてしまうQTEがとにかく多かったのです。

やたらとQTEを表示し、別に没入感を増すわけでもなく煩わしいだけ。 いきなりなんか画面にキー・ボタン表示が出るだけで、成否によらず別に大きな変化もなく興奮もない。 中小規模のゲームだけでなく、割と大手のゲームでも多く見られる傾向で、これには私も一時期相当うんざりしていました。 また無意味なQTEかよ、と。

このダメなQTEには意味・役割づけが希薄だったように感じます。 なぜ、このタイミングでこのキー・ボタン入力をしなくてはならないのか(ダメなものには、通常操作との共通性を欠くものが多い。 ひどいものになると一時停止して連続キー入力させられる)? それによって、この後どう反映されるのか? なにを体験させたくてこの表示を出しているのか? ……こういった疑問が心に浮かびますが、ダメなQTEを採用していたゲームのほとんどはこれに答えてくれはしなかったのです。

今でこそタッチインターフェイス、つまるところタッチパネルなどの普及によってよりインタラクティヴなシステムに移行しつつあってQTEの出番は目に見えて激減しましたが、今でもふいに無駄なQTEが出てくることもあり、なんだかなぁと思ったりすることもあります。

そして、この無駄でダメなQTEは嫌いだったし、得意でもありませんでした。 予測しにくいタイミングで急に出てくるし、結果も予測できないキー・ボタン入力だったりして、端的にめんどくさい・邪魔臭いんです。 集中なんかもできませんので、そりゃミスも増えます。

音ゲーの操作に対する苦手意識や不得意意識には、このダメなQTEに通じ・共通するものがあるように思われます。 もちろん、音ゲーのゲーム性自体がダメだとかそういうんではなくて、あくまでも私の苦手・不得意とするQTEとの共通要素があるんじゃないかということです。

他方で、QTEは基本的に表示されたらすぐに対応するキー・ボタン入力をしなければなりません。 対する音ゲーはリズムに合わせて(実際はそれだけでもないですが)ノートを消化しなければならないです。 なのでどうしても、経験量的にノートが表示されたら対応する色やキー・ボタンを入力するという方向で思考が働いてしまうのも、音ゲーに対する苦手意識・不得意意識の形成に関係ありそうです。

苦手意識・不得意意識を払拭し、最適化するのは難しい?

長々と書いてきましたが、やはりこのキー・ボタン入力に対する意味・役割づけの皆無さもしくは希薄さがネックになっているのではなかろうかというのが、目下の結論です。

現実的に操作可能かはおいておいて、例えばこのキー・ボタンがギターでこっちがベースであれがドラム……みたいなほうが、まだ、私の思考・判断の性質的にはマッチしそうです。 それはそれで相当忙しく、かなり難易度高そうですが。

先程も書いたように、私のプレイするゲームはこのキー・ボタンの意味・役割づけがしっかりとあるものが大半を占めてきました。 その経験から大きく逸脱する音ゲーに適応するというのは、相当の苦難と努力が必要になるのだろうと強く思います。

もともと音ゲーに対しては興味がないとかではなく苦手意識・不得意意識が先行するのが常でした。 スポーツゲーとかはスポーツ全般に興味がないのでプレイしないことが多いですが、音ゲーは興味があるネタ・キャラが使われていて……でもゲームジャンルとして苦手・不得意だからということでスルーしてきたことも少なくないのです。

もったいないながらも仕方がないことなのだ。

これまではそう思っていましたが、直近のゲームプレイと自己診断によって転機が訪れようとしています。

疑問: 最近、快楽と手軽さだけを重要視していなかったか

ここ最近時おり感じていたし、薄々気がついていたのですが、プレイする傾向やスタイルを省みてみると、快楽……爽快感などや、手軽さばかりを重要視してこなかったか、という疑問が首をもたげてきました。

最近好んでプレイしてきたゲームの傾向は……攻撃ボタンを連打するだけで無数の敵を切り刻んだりふっ飛ばしたり、ちょこっとずつでも気楽に楽しめたり、もはやゲーム性などなくてストーリー性に特化していたり、という具合です。

もちろんそれがダメなわけではなくて、それぞれに魅力があるし、それもそれぞれがゲームの形のあり方として間違ってはいません。 しかし、これが全てでもないのです。

趣味なので、好きな・自分のスタイルにあったゲームをやればいい。 そりゃそうです。 無理にまったく興味もないゲームなんて仕事でもない限りはやりたくもないし、やる意味もないとさえ思います。 しかし、それだけでは視野が狭くはなりはしないだろうか?

また、チャレンジ精神を忘れつつあるのではないだろうか?とも思いました。 上達を目指そうという気持ちになれるゲームにしばらくあまり出会えていないというのもあるんですが、倒せなかった敵を倒す……普遍的に言えば、できなかったことができるようになることの喜びを忘れてはいないか? という。

以前であれば、例えばデモンズ・ダークソウルで死にまくって心が折れかけても、自分なりに戦略や装備構成を練って行動を改善したりして、かなりの回数トライアルアンドエラーを施行して倒すだけでなく、その辛い過程をも楽しんできました。 しかし最近は、ちょっと試しただけですぐに諦めたり、回避できるなら回避したりすることが多くなったように思うのです。

技術が関係する趣味ってなんでもそうですが、苦痛を伴う時期って必ずあります。 あれがどうしてもできないとか、これがあとちょっとでいつも最後にダメになるとか。 それが長く続くほどどんどんどんどん苦痛も大きくなっていって、自信もなくしていきます(仕事にも言えることですね)。

しかし、そこで折れずに最後までやり遂げて突破できた時は、他の受け身の趣味では味わえない大きなカタルシス……満足感や達成感が得られます。 仮にダメでも、全力を出したあとだと清々しい気持ちで終われる場合もあります。

その辺が、最近欠如しているように思うのです。 サクッとほんのちょっとの爽快感と達成感を断続的に積み重ねて満足していたというか。 自分のスキルなんて平々凡々か下手なくらいですが、ことさらに最近そのスキルがイマイチになってきたと思うのは加齢だけでなく腕を磨くことを怠っていたからなのではないかと。

そこで……いい機会だということで、音ゲーに対する意識改革と、このゲームに対する意識改革を同時に行おうと思い立ったのです。

救世主現る。 その名も「デカ盛り 閃乱カグラ」

苦痛を味わいつつ練習したとしても、ちっとも上達しないかもしれない。 人並みレベルにも到達しないかもしれない。 でも、やってみる価値はある。 ……ということで、自己研鑚と音ゲー克服を目標に、音ゲーに挑戦する機会を設けてみました。

しかし、単に適当に選出した音ゲーで挑戦してみてもモチベーションが維持できないかもしれない。 そこで白羽の矢が立ったのが、「デカ盛り 閃乱カグラ」でした。

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閃乱カグラシリーズは、「「閃乱カグラ」勝手にキャラ番付 ver.1 -EV発売前-」という気色悪い記事を公開しちゃう程度にはハマっている作品群で、本来アクションゲームのはずがなぜか料理音ゲーという謎のスピンオフを果たしたのが、デカ盛り 閃乱カグラなのです。

音ゲーとしての完成度や難易度は、正直、比較対象となるデータが皆無なためになんとも言えませんが、最低難易度であれば、苦手・不得意な私でもそこそこ楽にクリアできる程度にはヌルめ、なのかな?

先の気色悪い記事にも冒頭にチラッと書いているんですが、ヌルいと感じるのは最低難易度だけで通常難易度は私にとっては茨の道でした。

初見プレイ時でもミスしながらでも余裕を持ってプレイ・クリアできた最低難易度。 ノート数も少なく、次第に眠気を催す程度でしたし、正直なところこの難易度はプレイしていても楽しくありませんでした。 ひたすら漫然とキー・ボタンを押すだけで作業でしかなかったです。

そこで、そこそこ慣れてきた頃に通常難易度に挑んでみたのですが……その落差に打ちのめされました。 今にしてみると最初に挑んだ曲が難易度が高い曲だったわけなのですが、全く刃が立たなかったんです。 惨敗。 惜しくもなんともない結果でした。

再び最低難易度に戻って、また退屈なプレイを重ねることになるのですが、そうしていくうちに私の中でも割と得意な曲(譜面と言い換えられるかも)と不得意な曲があることに気がついたのです。 それは難易度だけでなく、ノリやテンポなど様々な要素から得意・不得意が決まっていましたが、得意な曲ならばもしかして……?と再挑戦することに。 既に、最初に通常難易度に挑んだ時より2~3週間が過ぎていました。

すると、どうでしょう。 最低難易度で得意だった曲が、すべて通常難易度でもそれなりにこなせたわけではないものの、以前はノートを目で追う・視認するのすら困難だったのが、“見える”ようになっていました。

選んだ曲の難易度が下がったのももちろんありますが、間違いなく、成長速度は遅くとも最低難易度で経験を積んだことで音ゲーに慣れてきたのだと思います。 調子に乗って、ちょっとだけクセのあるMAI WAIFU・未来の曲に挑んだら惨敗しましたが。

ただ、未来の曲も数回でクリア出来ました。 もちろんフルコンボクリアなんてできるはずもなく、相当数のミスもありましたし、今でも安定してクリアできるわけではありませんが……それでもクリアできた、のです。

この時、私は確かに以前まで味わい、そして愛していたカタルシス……強い達成感や満足感を感じたのでした。 そして、音ゲーは原初的でシンプルな、できなかったことができるようになるという、ゲームの楽しさをそのままゲーム化したものなんだなぁと思うようになりました。 音ゲー好きの友人がいますが、彼らが魅せられるのはここなんだ、と。

今でも通常難易度は依然厳しく、まだまだ経験値不足・レベル不足であることを痛感させられます。 しかし、ほんの数週間前までは不可能だと思えた難易度でプレイできるようになったのは大きな進歩ですし、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、音ゲーに対する苦手意識・不得意意識が薄らいだのが収穫でした。 気のせいか、キー・ボタン入力の意味・役割づけの皆無・希薄さによる敬遠も薄らいだように思います。

デカ盛り 閃乱カグラ……いや、閃乱カグラは、私に多種多様なおしりとおっぱいをもたらすだけでなく、音ゲーというブルーオーシャンを開拓するきっかけを与えてくれた救世主といっても過言ではないのです。 ありがとう、閃乱カグラ。

まだ未知数ながら、開拓していきたい

正直なところ、まだまだ開拓というか意識改革ははじまったばかりで、今後や想定される結果がどうなるかは未知数です。

しかし、今の段階でも手応えを感じていますし、たとえRPGやアクションといった愛好ジャンルのレベルにまで好きになれなくとも、興味分野に音ゲーがなってくれればなとは思います。 今後、ペルソナ4の音ゲーなんかも出てきますし、視野や守備範囲が広がれば(積みゲー候補が増える弊害はあるものの)ゲームライフをより豊かにできることと思いますので。

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今一度、トライアルアンドエラーやそのいっときの苦痛の果てに大きなカタルシスや達成感が待っていることを思い出しつつ、音ゲーを「克服する」のではなく「好きになる」方向でプレイしていければと思います。